広島大学(所在地は広島県東広島市・広島市南区霞町・広島市中区千田町)とは、旧制広島文理科大学(旧二文理大と言われ、文理大は日本に東京文理科大学[現・筑波大学]との二校しか存在しなかった)をはじめ、広島地区に所在していた官立(国立)の7校を包括、さらに広島市立の1校を併合して、1949年に新制大学として設置された西日本有数の名門大学です。
1995年までに、医療系の霞キャンパスを除き、広島市中心部の東千田キャンパスから夜間部(夜間主コース)以外を東広島キャンパスに移転。2004年4月に国立大学法人化、2006年4月には全部局の大学院講座化(大学院部局化)完了を経て、現在では12の学部と4の研究科を設置した大学院大学となっており、太平洋戦争下、世界で初めて原子爆弾を落とされた広島にある大学として、原爆症などの放射線被ばくの治療や平和科学研究に力を注いでいます。
そのような中、28年ぶりに法学部を旧メインキャンパスの東千田キャンパスに戻し、2023年4月から授業を開始するとのニュースが飛び込んできました。ここでは、広島大学が東広島市に移転したのが成功だったのか?失敗だったのか?を検証してみたいと思います。
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引用元:法学部および大学院法学・政治学プログラム東千田キャンパス移転について(通学支援措置について) | 広島大学 (hiroshima-u.ac.jp)
東広島市への移転の経緯
広島大学は、戦後、旧制8校が統合して発足したため、「タコ足大学」(キャンパスが複数の場所に分散していることによる弊害が大きいとされる大学のこと)の状態であったのを、大学紛争を契機として議論が活発化し、キャンパスが狭く学問の発展のさまたげになっていたことや施設の老朽化などの問題の解決、「たこ足」大学からの脱却を目指して、医歯薬学系を除くキャンパスの大半を東広島市へ統合移転し、名実ともに総合大学として新たなスタートを切りました。
1982年から1995年の間に旧メインキャンパスの東千田キャンパスから順次統合移転を完了。東広島キャンパスは、法人本部もある現メインキャンパス。キャンパス建設前の一帯は山林に囲まれたぶどう畑や田畑と数戸の農家が点在する場所でした。現在、当キャンパス中央に広がる「ぶどう池」は当時のぶどう畑に因んで名付けられたものです。
なお、移転が決定した当時は、山陽本線西条駅から東広島キャンパスを経由して、東広島駅へ至る新交通システム(モノレール)の建設構想がありましたが実現していません。移転後、当キャンパスの面積は249.2haとなり、これは日本国内の大学の単一キャンパスとしては筑波大学(筑波キャンパス 257ha)に次ぐ有数の広さとなっています。
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引用元:春・夏 | 広島大学 (hiroshima-u.ac.jp)
東広島市への移転のメリット
・たこ足大学からの脱却により、組織として効率的な運営が可能となりました。
・学問の発展の障害(特に理学部について声が上がっていた)となり、様々な問題を引き起こすキャンパスの狭さという課題を解消しました。
・豊かな自然、充実した設備、高度な研究施設や教育環境の中で集中して学び、自分独自の技術や知識を身に着け、就職活動をより有利に進めることができるようになりました。(例えば、キャンパス内に図書館は3か所あります)
・多くの異なる学部の学生と交流でき、知見を深める可能性が広がっています。
・旧メインキャンパスでは、移転の最後の時期には老朽化した建物のため、色々な問題があり、冬に授業に出ると風邪を引くという話もありましたが、新しい建物に移ることは、新鮮な気持ちで勉強に向き合えること、最新の設備で学べること、充実したスポーツ施設の利用、移転後に完成した国内有数の天文台の活用などの様々なメリットを受けることができるようになりました。
・広島市内と比較して家賃が安くなり、多くのアパートやマンションが大学周辺に建てられたため、通学時間もあまりかからなくなったことは魅力です。
・移転後は、大学院重点化を完了して、予算的にも東の筑波大学に近い扱いを受けており、旧帝大系大学に次いで、一目置かれる存在の一つとなりました。
東広島市への移転のデメリット
・移転当初は、周辺には遊戯施設やお店はあまりなく、息抜きに遊ぶ場所もほとんどなかった。そのため、クラブにも所属せず、友人を作れない学生は「孤独」となり、メンタル的な問題が発生しました。(現在はかなり開発されて、周辺施設も少しずつ充実してきましたが、遊びに行ったり、ある程度の買い物をする場合は広島市に出る学生も多いです)
・移転先周辺はまだ未開発だったため、アルバイトする場所も少なく、学生は経済的な問題をかかえることもありました。(現在は状況が改善されていますが、広島市にアルバイトに行く学生も少なくないです)
・学生の多くが新メインキャンパスに移動したため、旧メインキャンパスの東千田キャンパス周辺の経済的損失は計り知れず、近くにあった「タカノ橋商店街」はすたれていき、最終的に閉鎖に追い込まれました。
・都市部の広島市内と新キャンパスとのアクセスが不便であり、広島駅からJRとバスで1時間程度はかかってしまいます。
・新メインキャンパスがあまりにも広いため、また、東広島市は坂が多く、交通機関が発達していないので移動のための自転車は不可欠です。
・東広島市は夏は暑く、冬は寒いため、健康管理に十分気を配る必要があります。
まとめ
・学生の生活は不便になり、旧メインキャンパスの東千田キャンパス周辺への経済的打撃は大きなものがありましたが、学生の本分である学業については、しっかりとした研究施設や教育環境で学べるという点や国から充実した予算をもらい、大学として高い評価を得ている点は移転したからこそ得られた成果だと思われます。
・今回、2023年4月から法学部の昼間コースと大学院の法科・政治学プログラム(合計650人前後の学生が移る見通し)が、旧メインキャンパスの東千田キャンパスに移転して授業を開始したことになっているが、移転は2004年4月開校の同キャンパスにある法科大学院との連携を強化することが目的で、経済学部などの他の学部の移転も議論されているわけではないということです。
・現在法学部の跡地に設置する計画で進められている東広島キャンパスへのアリゾナ州立大学(US News & World Reportの「最も革新的な大学」で7年連続1位を獲得)日本校の誘致は、広島大学の国際的評価を高めるものであり、東広島キャンパスへの移転により可能となりました。
・中国 四国の魅力ある大学ランキング(2021年版)第1位に輝いています!
★以上のことより、総合的に見れば、広島大学の東広島キャンパスへの移転は失敗ではなく、成功ではなかったかと考えます。(ちなみに筆者は卒業生です。)
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