堺雅人の実家や兄弟は?出身大学や経歴を紹介!

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 最終回の世帯平均視聴率が19・6%を越え、2017年7月から9月放送の『ごめん、愛してる』からの24作品中では、第6位の高視聴率をたたき出し、有終の美を飾った2023年(昨年)のTBS日曜劇場『VIVANT』。主演の堺雅人さん(50歳)にとっては、『半沢直樹』『リーガル・ハイ』に続く、大ヒット作となりました。(高視聴率の基準は15%といわれています)

 堺雅人さんは芸能界有数の「視聴率男」(WonderSpace調査 2021年「視聴率が上がると思う俳優ランキング」第3位)と言われており、今作の『VIVANT』の一話あたりの出演料が500万円以上と破格だったようですが、ドラマの盛り上がりからすれば、妥当だと評価される人気俳優です。  

 今回は、その堺雅人さんの実家や兄弟、出身大学や経歴などについて徹底調査しましたので、ぜひ最後までご覧下さいね!

堺雅人の実家や兄弟

堺雅人:プロフィール・作品情報・最新ニュース - 映画.com

引用元:https://eiga.com/

 堺雅人さんは、どのような家庭環境で育ったのでしょうか? 気になりますね。

 家族構成や出身地、実家住所などを調べましたので、見ていきますね。

堺雅人の家族構成

堺雅人は5人家族で、家族構成は「父親・母親・本人・弟2」です。

【父親】自営業(漁に使う網や介護用品を取り扱っている・いた?)
【母親】自営業(漁に使う網や介護用品を取り扱っている・いた?)
【長男】堺雅人自身。3人兄弟の一番上
【次男】陶芸家の堺克弘さん(全国各地で展覧会を開催)
【三男】ミュージシャンの堺輝(あきら)さん(学生時代からバンド活動を行っており、現在は1人で活動中)

 一部ネット上では、堺雅人さんの父親が、タレントの堺正章さんではないかと噂されているようです。

 堺正章さんのような著名なタレントさんが、もし堺雅人さんのお父さんだったら、生まれながらの芸能一家のサラブレッドなのか?...と思ってしまいますよね。

 しかし、結論としてはこの情報は間違いでした。

引用元:https://careerintern.jp/actor/sakai-masato/30683/

 堺正章さんには、娘さんが2人おり、次女の堺小春さんは芸能界デビューしています。

 堺正章さんには、息子さんは1人もおられず、本名も「栗原正章」と言われます。

  そのため、あきらかに堺雅人さんとは無関係と思われます。

 

 堺雅人さんの父親については、一般人なので詳細な情報は公表されていません。

 実家は宮崎県でお店を営み、漁に使う網や介護用品を取り扱っている(いた?)そうです。

 漁関係の用品がメインのようなので、海に近い「本郷南方」「郡司分」あたりが実家なのかもしれません。

 堺雅人さんのご両親が、現在もお店を続けているかどうかは、分かりませんでした。

父親と絶縁状態になる 

引用元:https://careerintern.jp/actor/sakai-masato/30683/

 堺雅人さんのお父さんは、息子が大人しい性格だったのを心配して、強引に少年野球チームへ入れたようです。

 しかし、堺雅人さんはあまりスポーツが好きではなかったので、上手くならなかったそうです

 お父さんとしては、とても残念だったのではないでしょうか。

 

 そんな堺雅人さんですが、大学時代に父親と絶縁状態になってしまいます。

 早稲田大学に進学した堺雅人さんは、同校「劇研」を母体とした劇団「東京オレンジ」で大活躍し、俳優を目指すために、大学3年の時に中退を決意します

それを聞いた父親は激怒し、親から勘当されてしまい、仕送りも止まってしまいました。

 両親と絶縁していた期間は、7~8年ほどだったそうです。

 しかし、俳優として成功した結果、両親との関係も何とか修復したようで、本当に良かったですね。

母親は島根県出雲市出身だった?

 堺雅人さんの母親についても、一般人なので、詳細な情報は公表されていませんでした。

 父親と共に、実家で自営業を営んでいる(いた?)ようです

 堺雅人さんの母親は、島根県出雲市出身で、島根県立出雲高等学校卒業という情報あり、実家も出雲市にあるのかもしれません。

 その関係で、堺雅人さんと菅野美穂さんの結婚式は、出雲大社でとりおこなわれたといううわさもあります。

引用元:https://renote.net/articles/198879

出雲出身の女性は、清楚で控えめな方が多いと言われているので、堺雅人さんの母親もそうなのかもしれません。また、島根県には美人が多いと言われているので、美しい方なのでしょうね。

堺雅人の兄弟(2人の弟)は陶芸家と音楽家

 堺雅人さんは、3人兄弟の長男として生まれ育ちました。2人の弟さんについて調べてみました。

次男:堺克弘(さかい かつひろ)

引用元:https://careerintern.jp/

 次男の堺克弘さんは、1975年生まれで現在陶芸家として活動しているようです。

 1975年生まれなので、堺雅人さんの2歳下で48歳になります。顔の表情や雰囲気がとてもよく似ていますよね〜!

 岐阜県瑞浪市で陶芸家として活動されています。 確認できただけでも東京・仙台・札幌・福岡・宮崎など日本全国で個展を開いているようで、twitter上では個展を実際に訪れた方々が写真や感想を投稿されており、なかなかの人気陶芸家のようですね。

 1994年に宮崎県立宮崎南高校卒業後、1998年に日本工芸会正会員の伊藤麻沙人氏に師事しています。

 1998年に東海大学文学部卒業後、2001年に岐阜県多治見市陶磁器意匠研究所のデザインコースを修了しました。

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 「ギャラリー陶花」というギャラリーも運営しており、こちらでも個展も開いているようですね。

 作品を拝見するとどれも個性あふれる器で非常に魅力的です。ちなみに作った器も販売しているので気になる方はホームページにアクセスするのもいいでしょう。

 http://www.tohka.co.jp/gallery/index.html

 陶芸家として、2011年に「めし碗グランプリ展 スポンサー賞」、2012年に「ユニークな器展 大賞」、2013年に「現代茶陶 TOKI 織部奨励賞」、「美濃陶芸展 中日奨励賞」など数々の名誉ある賞を受賞している実力派です。弟さんも豊かな才能を発揮し、活躍しているんですね。

引用元:twitter

 堺克弘さんは、陶器の中でも、特にうつわにこだわりを持っているみたいですね。

三男:堺輝(さかいあきら)

引用元:https://careerintern.jp/

 三男の堺輝さんは、ミュージシャンとして活動していました。堺雅人さんからは、「チビ」と呼ばれていたそうです。

 1982年5月2日生まれの41歳。1982年生まれなので、堺雅人さんの9歳下になります。

 すでに結婚していて、8歳になる双子のパパだそうです。

 13歳から音楽に興味を持ちはじめ、高校ではバンドを組んで、文化祭で披露していたそうです。

 卒業後は上京して「the bitters end」というバンドで活動しますが、なかなか芽が出ず、あきらめずにソロで音楽活動をしていました。

引用元:https://careerintern.jp/   

 ミュージシャンのかたわら、オリジナルデザインでTシャツの制作も行っているらしいです。

 ソロになってからはミュージシャンとして弾き語りライブなどを行っていましたが、新型コロナの影響を受け、現在は「株式会社CLAS」のCS(カスタマーサポート)で働いているそうです。

引用元:twitter

 経験を活かせるCSの仕事を探していたそうで、これまでにもミュージシャン活動のかたわら、一般企業で働いていたようですね。

 コロナ渦で副業が当たり前の時代になったので、今後は会社員として働きながら、また歌を唄う機会模索してるのかもしれませんね。ぜひ、ミュージシャンンの夢をあきらめないで頑張って欲しいです!

堺雅人の学歴

 堺雅人は、宮崎県宮崎市出身です。

 生まれは兵庫県神戸市垂水区なのですが、その後は宮崎県内に移り住んでいます。

 神戸市では、2歳まで舞子浜の団地で生活していたようですね。

 

 宮崎県宮崎市に引っ越してからは、高校卒業までをそこで過ごしています。

 宮崎市立国富小学校、宮崎大学教育学部附属中学校、宮崎県立宮崎南高校を卒業後は、早稲田大学第一文学部中国文学専修に進学しています。

堺雅人のプロフィール

【本名】堺 雅人(さかい まさと)
【生年月日】1973年10月14日
【年齢】50歳(2023年10月時点)
【出身地】宮崎県宮崎市
【身長】172cm
【体重】非公表
【血液型】O型
【職業】俳優
【事務所】フリー

それでは、気になる堺雅人さんの通った学校とどんな学生生活だったのかを見ていきましょう。

宮崎市立国富小学校

こちらが、堺雅人さんが通っていた「宮崎市立国富小学校」です。1980年4月に入学し、1986年3月に卒業しています。2023年で150周年を迎えた歴史のある小学校でもあります。「国富」と書いて、「くどみ」と読みます)

引用元:https://www.homemate-research-elementary-school.com/

 堺雅人さんは読書好きでも有名ですが、小学生の頃からよく本を読んでいたそうです。

 昆虫や魚などの図鑑を読むのが好きだったようですが、辞書を読み漁るのも好きで、歴史や科学に興味を持っていたという話もありますね。

 絵本「馬のゴン太旅日記」を高学年の頃に読むと、原作者の島崎保久さん宛てに読書感想文を書いたとのエピソードも残っています。

 原作者宛てに読書感想文を送る小学生もなかなかいないのではないでしょうか。

 

 また、夏休みの宿題をキッチリやって、しっかり遊ぶ真面目でバランスの取れたしっかりした子供さんだったようです。

 小学4年から6年まで少年野球チームに所属。実はスポーツが苦手なのにも関わらず、父親が本ばかり読んでいる堺雅人さんに強く勧めたんだとか。

 チームに勝ち目がないことがわかると、打席に立たされていたそうです。ポジションは三塁ランナーコーチで、選手には選ばれませんでしたが、的確な判断を評価されていました。

 

 徒競走でも4位以上になったことはありませんでしたが、スポーツができなくても、クラスでは人気者だったらしく、クラスの女子からは「王子」と呼ばれてとてもモテていたということです。羨ましいなあ~。

 勉強はとても出来たようで、宮崎県に1校しかない国立の宮崎大学教育学部附属中学校を受験し、この小学校からは堺雅人さんを含めたった2人しか合格者が出なかったんですよ。

 

 スポーツは苦手でも、得意だった勉強を伸ばしていくために、中学受験を考えたのかも知れません。公立小学校から、県でトップレベルの中学校に入学できるなんて、小学校内で1位2位を争う学力だったことが分かりますね!凄いです!小さい時から頭脳明晰だったんですね!

★学校情報
住所:宮崎県宮崎市大字郡司分甲2226番地

宮崎大学教育学部附属中学校

こちらが、堺雅人さんが通っていた「宮崎大学教育学部附属中学校」です。1986年4月に入学し、1989年3月に卒業しています。

引用元:https://www.google.com/

 宮崎大学教育学部附属中学校は、宮崎市花殿町にある1947年開校の男女共学国立中学校です。附属高校が無いため高校受験が必要となり、卒業生は、県内トップクラスの難関校である県立宮崎西高等学校や県外の名門私立高校(ラ・サール高等学校や久留米大学附設高等学校、東大寺学園高等学校など)へ多数進学しているようです。

 宮崎大学教育学部附属中学校の偏差値は56程度で、2023年時点で県内で1位となっています。

 県内最難関の宮崎県立宮崎西高等学校の理数科は当校出身者が3分の1を占めています。

 

 宮崎県内では唯一の国立中学校で県内でもトップクラスの進学校ということで、堺雅人さんは中学受験をして入学しました。本当に勉強のできる子供さんだったのですね。

 この学校の教育方針で驚くのは、なんとチャイムを鳴らしていないことです。自分で考え行動するということを徹底させるというまさに人を育てるという教育理念は素晴らしいですね!

 

 堺雅人さんは吹奏楽部でホルンを担当しつつも合唱部でも活躍していました。しかも、合唱部で九州代表で全国大会まで出場していたらしいのでびっくりです!

 テノール歌手の藤木大地さんも同じ合唱部だったことを考えると、堺雅人さんの歌唱力もレベルが高いことに違いないですね。

引用元:https://resumedia.jp/

中学2年生の時には学級委員も務める優等生だったようです。

 そんな中学時代の堺雅人さんは、おっとりしていても芯のある、一つのことに集中し、没頭するタイプでした。

 自由研究でクモを研究調査したときは、周囲も驚くほどの追求ぶりだったとか。

 

 一方で、堺雅人さんは歴史小説好きを公言していて、中学生のころから、シブサワ・コウさんのゲーム「三国志」のファンでもあり、ゲームにもハマる普通の少年で、友達のお父さんの持つパソコンで遊ぶために、家に入り浸りだったそうですよ。

 成績優秀で合唱部だと勉強ばかりしているというイメージしか湧きませんが、子供らしいかわいい一面も持ち合わせていたんですね。

 

また、当時、東京では小劇団ブームが起こっており、読書好きだった堺雅人さんは小劇団についての記事を読んだ事で、ここから演劇の世界に興味を持ち始めたんだそうです。

 『新選組!』や『真田丸』『大奥』など、多くの日本の歴史をテーマとした作品に出演している堺雅人さん。

 昔の歴史上の人物を現代人が演じるのは難しいことと思いますが、歴史好きが役作りにもいい影響を与え、見る人を引き付ける演技ができているのかもしれませんね。 

★学校情報
宮崎県宮崎市花殿町7−67

宮崎県立宮崎南高校

こちらが、堺雅人さんが通っていた「宮崎県立宮崎南高校」です。1989年4月に入学し、1992年3月に卒業しています。

引用元:https://www.google.com/

 公立学校ですが、ほとんどの生徒が国公立大学や難関私立大学などを目指しており、宮崎大学教育学部と連携協定も結んでいます。

 2011年に創設されたフロンティア科は、特に難関大学を目指す生徒が対象となっていて、レベルの高い進学校であることがわかりますね!

 堺雅人さんの通っていた当時はフロンティア科はなく、普通科と家政科だけでした。

 

堺雅人さんはとても優秀で、国語においては右に出る者はいない状態であり、先生が堺雅人さんに100点を取らせないように問題を作ることに苦労したほどなんです!

 ときには偏差値が80を超えたときもあったそうで、国語のみの受験であれば東京大学も十分合格できたでしょう。 

 

 卒業生には、有名な方として堺雅人さんや元読売巨人軍取締役球団代表の清武英利さんなどがおられますがそれ以外にも、著名なプロ野球選手や政治家、学者の方もおられ多方面で活躍されているようです。 

 

 その中でも、元宮崎県立宮崎南高校野球部OBで日本ハムや広島、巨人で活躍し、37歳の若さで亡くなった故木村拓也さん(27回生にちなんで、「木村拓哉賞」が同窓会の鵬会により創設されています。

 「木村拓哉賞」は、毎年生徒から1名から2名程度選ばれ、3年間部活動を通じて自己の研鑽に努めただけでなく、宮崎南高校の生徒として模範的な姿勢を続け、かつ学校の活性化に貢献した生徒に贈られる賞です。

 卒業生を大切にして、称える精神は本当に素晴らしいと思います。ちなみに私はカープファンなので、俊足巧打のユーティリティープレーヤー木村拓也選手が大好きでした!

 そして、何と野球部は1988年に甲子園に出場しています!まさに、文武両道、凄いですね!

引用元:twitter

 ここまで見ていくと、堺雅人さんの優秀さが伝わってきますが、実は高校生の頃から女の子にもとても人気があり、とにかくモテていたようです。

 そのきっかけになったのが入学直後の宿泊研修で、堺雅人さんはシャンプーを風呂場に忘れてしまったらしいのですが、集会のときに先生が「誰のシャンプーですか?」と大声で聞いたところ、堺雅人さんは「そのエッセンシャルシャンプーを忘れたのは堺雅人です!」と商品名と自分の名前を宣言したことがきっかけで人気者になり、女子生徒にモテはじめたらしんです!

 人気者になったきっかけは「エッセンシャルシャンプー」だったのですね!

  

 そんな堺雅人さんが入部したのが、演劇部です。役者としての原点が、高校時代といえますね。

 入部の決め手は、顧問や部長の態度が偉そうでなかったことに好感を持ったということだそうです。

 

 そんな演劇部ですが、入部した当初はなんと先輩1名だけだったようです。

 それが堺雅人さんの人気で一気に20名に増えたというから驚きです!

 宮崎でパントマイマー・後藤慶子氏の公演に参加した時の画像をみると、ハーレム状態です!本当に羨ましいなあ~。

引用元:https://resumedia.jp/

 その勢いは、廃部寸前の演劇部を救っただけにとどまりません。

 当時堺雅人さんが演出、脚本した作品が、九州高校演劇コンクールで「創作脚本賞」を受賞したのです。

 引用元:twitter

 この頃から、「演劇人」としての才能の片りんを見せていたのですね!

 熱狂的なファンがいることに目をつけた同級生は120円のペンを堺雅人さんに持たせて、ファンに300円で売るという商売までしはじめとのことで、どれほど人気があったのかがよくわかるエピソードですよね。 

 

 もう一つ、今の堺雅人さんを語るうえで忘れてはならないのが、高校時代の恩師である歌人の伊藤一彦さんの存在なのです。

 堺雅人さんは、歌人で若山牧水研究者伊藤一彦さんの強い影響を受けて、牧水を愛読していたようです。

 

 その後の2010年に、伊藤一彦さんとともに『ぼく、牧水!歌人に学ぶ「まろび」の美学』を共著で刊行しています。

 伊藤一彦さんが早稲田大学第一文学部の出身だったので、影響を受けて堺雅人さんも早稲田大学に進学を決めたのではないでしょうか。   

引用元:https://resumedia.jp/

 しかし、高校生の頃から芝居に関わっているところを見ると、元々役者志望だったではないかと思いますが、そうではありません。

 堺雅人さんは、もともと通商産業省の官僚を目指していました。(※通商産業省は現在の経済産業省)

 

 ところが、数学が苦手のため受験した国公立大学を全て落ちてしまい、あきらめます

 国公立大学に落ちなかったら、役者になっていなかったかと思うと、運命的なものを感じてしまいますね!

★学校情報
宮崎県宮崎市月見ケ丘5丁目2−1

引用元:twitter

早稲田大学第一文学部

こちらが、堺雅人さんが通っていた「早稲田大学第一文学部」です。(※現在は文学部です)1992年4月に一般入試で入学し、1995年に中退しています。

引用元:https://www.waseda.jp/

 早稲田大学文学部は1920年に設置された日本最高峰の私立大学の一学部です。第一文学部(昼間)と第二文学部(夜間)に分かれていましたが、2007年に再編され新文学部と文化構想学部が設置されました。

 当初は国公立大学を志望していましたが、数学が苦手だったことから不合格になり早稲田大学に進学することになります。

 学力は申し分無かったはずですが、数学だけがどうしても解けなかったらしいです。堺雅人さんはゲルストマン症候群」という計算ができない、左右が判断つかない障害を持っているという話もあります。

 第一志望の国立大学の入試の際には数学の問題が難しくて解けなかったことから、「スチームも湯気が立っていて、非常に熱気があるんだけども、うすらさびしいぼくの解答用紙」 といった短歌数首を解答用紙に書いてみたそうです。

 また「このように、数学の才能はないかもしれませんが、もし貴校に受かれば、精いっぱい頑張るつもりです」といった嘆願書みたいなもの書いてみたり精一杯頑張ったようですが、当然のことながら不合格になっています。

 高校のところでもふれましたように、堺雅人さんの第一志望は官僚であり、真偽のほどは明らかではありませんが、一説には東京大学や京都大学を狙っていたとも言われています。

 とは言えこの早稲田大学には一般受験で入学しているので、堺雅人さんは高い学力を有しており、優秀なエリートと言えるのではないでしょうか。

 大学では文学部に所属して、中国文学を専攻していました。

 ちなみに大学に進学した頃の堺さんは宮崎訛りがすごかったのですが、そんなことは気にせずに周囲を笑わせたことから当時からクラスの人気者でした。

 

 早稲田大学に入学したものの官僚の道は閉ざされてしまったと感じた堺雅人さんは大学に複数ある演劇サークルの中でも名門で1920年(大正9年)創立の「演劇研究会」(通称「劇研」)に所属することを決意。「劇研」に入会する際には「入ったら多分、大学は中退する」と思い、1か月間悩んだということです。

 授業に出させてもらえないから入団したら卒業できないと言われる劇団の一つ。堺雅人さん、鴻上尚史さん、池田成志さんらを輩出しました。新人は2、3カ月ほぼ毎日稽古をして、舞台に立つ人間としての基礎をたたき込まれます。そこで最初に言われるのは、「自己開放して笑いを求めろ」ということです。恥を捨て、どうしたら人が笑ってくれるのかを突き詰めていくと、自分自身の個性や持っている力が見えてくるということで、新人訓練の1つとして、全裸ダッシュというものをしていたとの話もあります。

 

 サークル自体が一劇団である他団体とは違い、「劇研」は、劇団を興すためのサークルです。企画公演で実績を積んだ者が、内部に「アンサンブル」((サークル内劇団)制度 )と呼ばれる団体を設立して公演を行い、内外で評価を受けたら劇団として独立するという、独自のシステムを採っています。これまで「劇研」で発足したアンサンブルには、「第三舞台」や「東京オレンジ」など人気になった劇団も多く、学生演劇からプロを目指すための登竜門的なサークルといえます。

 堺雅人さんは、1992年に「劇研」を母体にした劇団「東京オレンジ」(オレンジは「太陽」の意味)の旗揚げに参加。劇団の看板俳優として活躍されていました。俳優として第一線で活躍する現在も同劇団の名誉団員となっています。

 引用元:https://yumeijinhensachi.com/archives/336

 当時の人気は相当もので、堺雅人さんはなんと「早稲田のプリンス」とも呼ばれていたというから驚きです!

 また大学時代にお金をとる舞台に出演した時から、プロの役者を意識したともインタビューで話しています。

 ちなみに早稲田大学出身のボーカルグループ「ゴスペラーズ」の村上てつやさんと北山陽一さんも短期間「劇研」に在籍しており、その縁で堺雅人さんも大学時代にゴスペラーズのステージに出演したこともありました。

 その一方で演劇に集中し過ぎていたため、大学の授業はほとんど出席していなかったようです。 

 引用元:https://kvibaba.com/

 言い寄ってくるファンの方も多かったようで、堺雅人さんが出演される演劇には女子高生を中心として約2,000人のお客さんを呼んだこともあったようです。大学時代から役者としてこれほどの人気があったとは本当に凄すぎますね!

引用元:https://kvibaba.com/

 「早稲田のプリンス」といわれた堺雅人さんですが、その勢いはとどまることを知りませんでした

 雑誌「演劇ぶっく」1996年・12月号の表紙を担当されています。

インタビュー特集では、片岡鶴太郎さんやキムラ緑子さん、片桐はいりさんなど、ドラマでお馴染みの方々が出ておられました。

人気があるといっても、いち大学生である堺雅人さんが、そんな雑誌の「表紙」をかざるなんて、本当に早くから才能が開花し注目されていたんですね!

ちなみに、その頃の堺雅人さんは「白いジャージ」で早稲田内をうろうろされていた目撃情報もありました。服装に気を遣うことも忘れて、演劇に没頭していたんですね!それでも、「早稲田のプリンス」といわれていたとは信じられません

 

 そして堺雅人さんは役者で身を立てていくことを決意し、1995年の大学3年生の春に大学を中退しました。

 それがもとで、両親が激怒し、勘当されてしまい、「役者を目指すなら、仕送りもしないし、もう会わない」と言われ、仕送りを打ち切られたことから、以降は極貧生活になっていきます。しかし、エリート人生を捨てて、名門大学を中退してまでも、人生を賭けて夢である役者に打ち込む決心をした堺雅人さんを私は尊敬します!

★学校情報
東京都新宿区戸山1-24-1

堺雅人の経歴

 大学を中退し、プロの役者になる道を選んだ堺雅人さんですが、厳しい下積み生活をおくることになり、ドーナツ店や警備員、運送業などさまざまなアルバイトを経験しています。親に相談なく大学を中退したため、仕送りも止められて極貧生活を過ごしたそうです。

 中でも一番長く続いたアルバイトはドーナツ店で、売れ残ったドーナツをもらい、それを主食にして過ごしていたとか。「野菜だけはたべないと」という母親の言葉を覚えていて、でも野菜は買えないので道端のたんぽぽにポン酢をつけて食べるほどの苦しい生活をしていました。しかもそのバイトではシフトを入れていない日にもたびたび出勤し、それが原因でクビになったそうです。よっぽど、生活に困っていたんですね。

 しかし、堺雅人さんは、そんな生活の中でも役者への道をけしてあきらめませんでした。

 

 堺雅人さんは、大学在学中の1992年(19歳)に旗揚げに参加した劇団「東京オレンジ」の看板俳優として活躍していたところを、田辺エージェンシーのスタッフにスカウトされ、田辺エージェンシーの事務所預かりとなり、数年後に正式契約を結びました。そこから20年以上にわたって在籍していました。 

  現在は舞台の他、テレビや映画でも活動中ですが、俳優として無名だった頃から声優業も行っており、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の白鳥麗次役で知られている。(2001年に降板し、翌年以降は和田サトシに交代)堺雅人さんは、現在でも思い入れのある役だと語っています。

 

 そんな堺雅人さんでしたが、1995年(22歳)の時に『ハートにS「休刊日」』でついに、フジテレビの深夜のショートドラマで初出演を果たしました

 2000年(26歳)の時に映画に初出演。

 『火星のわが家』という映画で、主人公の女性と次第に惹かれあっていく男性の役を演じています。 

引用元:https://nowget.net/

 そして、27歳になったこのころから役者として大きく知られるようになりました。

 2000年10月からNHKの朝ドラとして放送された『オードリー』で、初のレギュラーの大役を得たのがきっかけとなりました。この時に佐々木蔵之介さんと共演し、盟友となったそうです。

引用元:twitter

 杉本英記という映画撮影場の助監督という役柄でした。

 この『オードリー』で一躍、俳優「堺雅人」の名前が広く知られるようになったのです。

 

 ようやくアルバイトをしなくても、役者一本で生活できるようになり、両親からの勘当も解けていったようです。

 仕事も安定し、ご両親との関係が良好になって本当によかったですね!

 徐々に人気を高めたのち、2004年(30歳)でNHKの大河ドラマ『新選組!』の山南敬助を演じて、さらに一般に名前が浸透していきました。

 

 そして、2005年4月(31歳)にテレビ情報誌『テレビブロス(TV bros.)』が行った「好きな男」ナンバーワンに選ばれました。さらに、2008年4月(34歳)放送の単発ドラマ『世にも奇妙な物語 2008年春の特別編「フラッシュバック」』でついにドラマ初主演役に抜擢されます

 時期を前後して、2008年(34歳)にNHKの大河ドラマ『篤姫』にて徳川家第13代将軍徳川家定を演じ、映画『クライマーズ・ハイ』、『アフタースクール』などの演技が高く評価され、第1回東京ドラマアウォード 助演男優賞、第33回報知映画賞 助演男優賞第21回日刊スポーツ映画大賞 助演男優賞、第32回日本アカデミー賞 優秀助演男優賞などを受賞し、数々の賞を総なめにし人気、実力ともに認められる存在となったのです! 

押しも押されもせぬ人気俳優となる

 2010年7月期(36歳)のフジテレビの連続ドラマ『ジョーカー 許されざる捜査官』でゴールデンタイムの連続ドラマ初主演を果たし、その後も映画や連続ドラマの主演を務めるまでになり、押しも押されぬ人気俳優のなりました。

 2012年(38歳)年に、訴訟で一度も負けたことがない敏腕弁護士・古美門研介と、新垣結衣演じる真面目で正義感の強い新米弁護士・黛真知子の2人が繰り広げるフジテレビのコメディタッチの連続法廷ドラマ、『リーガル・ハイ』をヒットさせ、2013年7月(39歳)には、主演を務めていたTBSの連続ドラマ『半沢直樹』はビデオリサーチがオンライン調査を開始して以降、関西地区の最終回の平均視聴率が45.5%で歴代1位、関東地区が42.2%で歴代4位の驚異的な視聴率をただき出す大ヒットとなり、平成以降に放送されたテレビドラマでは、歴代1位の記録となりました。半沢の決め台詞「(やられたらやり返す!)倍返しだ!」も大流行し、同年のユーキャン新語・流行語大賞にて年間大賞を受賞。さらに、大変な人気のため、2020年(47歳)には続編が放送されて当たり役となりました。

  引用元:twitter

 受賞歴

第32回 日本アカデミー賞(2009年) - 映画.com
第32回 日本アカデミー賞(2009年)の各受賞作品、ノミネート作品を紹介!
第33回 日本アカデミー賞(2010年) - 映画.com
第33回 日本アカデミー賞(2010年)の各受賞作品、ノミネート作品を紹介!
第35回 日本アカデミー賞(2012年) - 映画.com
第35回 日本アカデミー賞(2012年)の各受賞作品、ノミネート作品を紹介!
第36回 日本アカデミー賞(2013年) - 映画.com
第36回 日本アカデミー賞(2013年)の各受賞作品、ノミネート作品を紹介!

引用元:https://eiga.com/

 2022年末(49歳)をもって所属していた田辺エージェンシーを退社し、独立をしています。

 さらに、2023年、堺雅人さん(49歳)が主演し、役所広司(67歳)、二階堂ふみ(29歳)ら豪華実力派俳優が勢ぞろいしたTBS日曜劇場大スペクタクルドラマ『VIVANT』では、最終回に平均世帯視聴率19.6%(関東地区)という数字をたたき出し、今や日本を代表する高視聴率男としてその地位を不動のものとしています。

 名門大学を中退してまでも、役者という夢にチャレンジした堺雅人さん。長い下積み生活も乗り越えてついに見事勝ち取った大人気俳優の座!夢は必ず叶うということを体現してくれたその人生に私も含め、全国の皆さんも心躍る想いなのではないでしょうか?

 まとめ

 本当に魅力あふれる人柄でファンから愛される堺雅人さんですが、当初は官僚を目指していたとはびっくりですね! 

 しかも、早稲田大学に入学したエリートなのに、演劇の道へ進もうと決めた決断力には驚かされます。

 あえて、厳しい道を選択して、長い下積み生活に耐えながらもあきらめずに夢を実現させたその生き方体験が演技ににじみ出て、またその素朴な人柄も相まってファンや人々を感動させるのではないでしょうか?

 現在65歳(2023年12月時点)の私もそのたぐい稀なる演技力に魅了され、夢をあきらめないその姿勢や人生に憧れます。これからでも、夢を追いかけるのは遅くないのかなとも思わせてくれ堺雅人さんを尊敬しています。

 2023年(昨年)末のNHK紅白歌合戦にも審査員として出演し、ネットでも大注目されていた堺雅人さんですが、これからの堺雅人さんの益々のご活躍をお祈りしたいと思います。

 今回は、堺雅人さんの実家や兄弟、出身大学や経歴などについて、調査してみました。堺雅人さんのサクセスストーリーはいかがでしたでしょうか?

 最後になりましたが、このブログが皆さまにとって少しでも役に立つ情報になれば嬉しいです。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。また、参考にさせていただいた、ブログの筆者、関係者の皆様、心より感謝いたします。ありがとうございました。

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